“努力"が嫌いなお話
うーむ、“努力"って何なのでしょうね。
コツコツ積み重ねるとか、そういうのが苦手なんですよね。
もちろん自分自身が怠惰であることは大いに関係があるとは思うのです。
とは言えどもあまりにも苦手すぎるのはなぜなのかと。
それとなく今までを振り返って要因を掘り出してみようかなと。
- 飽きが早い
このブログでもわかるように、
今までいろいろなことに手を付けてきましたがどれも中途半端。
すぐに別のことに興味関心が移ってしまうため、
一つのことを長く続けられないことが多いです。
何かをやっているうちに、ほかのことが気になってしまい戻れない。
- 失敗を過度に恐れる
どうしても自分は外面をよく繕いたいと思うことが多いです。
いわば見栄っ張り。
「“いい人"でありたい」、「ダメな部分を人に見せたくない。」
失敗を過度に恐れるあまり、
無意識に予防線を張ってしまうことが多いです。
その予防線を張りすぎた例が、
「この程度しかやってないんだから、失敗しても当然だよね。」
と言うために"やらない"という逃げの手段を取ってしまうことです。
- 自分の中で確固たる柱がない
現状、「他がダメでも自分にはこれがある!」といった
確固たるアイデンティティを自分の中で持てていません。
その結果、常時背水の陣のような状態となります。
こんな状態じゃ続けられもしないですよね。
また、「自分にはOOがあるじゃないか」
となったとしても、
昨今はすぐにインターネットを通じて比較ができてしまいます。
ようやくできそうな柱をいとも簡単に崩されてしまいます。
毒ですね。本当に。
インターネットの住民が何とかといっておきながらですが、
自分はインターネットをやめるべきだなぁって思っていたりはします。
- 過去の失敗
正直これがメインというか9割を占めている…
というか1.2.3.の根源なのかとは思います。
“努力は必ず報われる”
この言葉、この世界において一二を争うくらいで嫌いだったりします。
たまたま成功した側が言っているだけの生存バイアスに満ちていると思います。
失敗した奴に対して"努力が足りなかったから"と言える叩き棒付き。
失敗の理由を本人に全部押し付けられます。
お得ですね。
少なくとも失敗した人間への励ましの言葉としては
明確に不適であるという持論です。
今まで自身のやってきたことを否定されたと捉われかねないからです。
…大きく脱線をしてしまいました。
少なくともこの人生のなかで、
ある目標へ向かって真剣に取り組んだが
報われなかった経験があったからなのだとは思います。
特に大きかった転換点は高校受験の失敗かもしれませんね。
直前までの模試も含めて順調だったのにも関わらず、
第1志望に落ちてしまったこと。
今こそ、結果的にはよかったと思える点はたくさんあります。
いろいろな人との出会いなども含めて。
とはいえど、当時の自分に対して、
試験の結果は一つの自己を示す柱のようなものでした。
(レベル的には受かった第2志望の方が高かったのが猶更である。)
それが、不合格という形で否定されたとも思えたため、
あらゆる判断に
「どうせ真剣に取り組んでも意味ない」
という意識が根付いてしまった。
よって、コツコツと積み重ねて自己を研鑽することができなくなってしまった。 そのような気がします。
この思考を今更直すことなんてできませんし、
直そうとも思いません。
直すのではなく、うまく付き合っていく。
そんな方法を見つけ出したいなと、そう思っております。
現在具体的な方策があるというわけではありませんが、
人と比べない、まずは70点を目指す、自分のペースをきちんと把握する。
そんなものを心がけようかなとぼんやり思っています。
この話にオチはありません。 以上!